そらになりかけ

音楽と生き方について話してます。

歌と本は孤独な人間の拠り所だって話

私は音楽と本が好きなんですが、それはなんでなんだろうと考えてたら、似てるからなのかなって結論に至りました。

 

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誰かの思想に触れるということ。これが歌と小説の大きな共通点です。

 

 

本を書きたいと思ったことはありますか。

音楽を作りたいと思ったことはありますか。

言葉を、誰かに届けたいと思ったことはありますか。

私はあります。(だからこうして文字を打ってブログを書いています)

 

 

それは何故なのでしょう。

私は、みんなと考えを共有したいからだと思いました。

 

 

私たちは脳でものを考え、脳で見て、脳で話しています。

あらゆる感覚は脳を介しているため、この世界が実在するかなど、証明はできないんです。

「この世界は全て脳が見せている電気信号だ」と言われても、否定できません。

あるのは知覚情報だけ。「水槽の中の脳」という話のようですが、つまり昔からみんなこんなことを考えていたんですね

 

人は一人では生きていけない。

 

だから私たちは会話をするし、言葉を紡ぎます。

この世界が自分の脳が作り出したただのデータではないと感じたいがために。

 

「我思う故に我あり」

デカルトの言葉です。

意識だけだとしても、今思考している私という概念は確かにここに存在する。

ちょっと違うけどそういう風に私は解釈しています。

 

私は他者の脳が、意識が欲しいんです。

「自分だけの認識している世界」と「誰かが認識している世界」が同じであれば、それは孤独ではない気がするから。

まぁ同じなんてありえなくて、だから私たちは絶対孤独なわけですが。

 

 

 

全てを俯瞰したい。脳を把握したい。

そう思ったことはないでしょうか。

ここに、本を読むことの心地よさがかくれています。 

 

本を、小説として話をさせていただく。

新書の類も全く私の主張を乱すことはないのですが、”ストーリー”ということが私の中で重大なのです。

 

小説は、筆者の考えが、その世界に丸ごと映し出されたもの。

「こういう世界があったら私はこう思うし、これが面白いと思う。

この考えが誰かに届いて欲しい。

私が面白いと思って作ったこの話を、あなたにもそう思って欲しい。」

なんて利己的なのでしょうか。素晴らしい。

相手の脳に、世界を広げ、楽しんで欲しいと願う。

これだけでも他者の意識を感じれるのに、登場人物の「心の声」まで小説では書いてくれる。 

文字通り、「心を読む」ことを仮想的に可能にしているのです。

これはもう小説を読む事でしか味わう事のできない俯瞰視点。

その世界を俯瞰し、心の声まで聞くことができる。全てが見える。

だからその世界に浸っている間は、孤独を感じなくて済むんです。

 

 

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考えを共有するということ。

それは孤独を癒したいからだと私は思うんです。

 

どれだけ私たちはお互いに言葉を交わしても、自分は自分でしかなく、あなたもまたあなたでしかなく、この瞬間は今も過ぎていきそのまま僕らはいつか必ず死にます。

 

こんなにも孤独なのは私はまだ本物の愛を知らないからかもしれないです。

愛された事ないから愛を知らない。

親からの愛じゃなくてですね。両親には本当に感謝しています。でもそうじゃなくてですね。わかるでしょ?

本物の愛なんてあるかは知らないですけど。

 

心から愛しあえる人がいれば、孤独を感じることはなくなるのでしょうか。

言葉を超えて、理解し合える人がいれば、独りではなくなるのでしょうか。

 

一人でいる時より、誰かといる時のほうが独りだと感じることはありますか。

僕たち人間という生き物はテレパシーが使えないんです。

だから孤独です。

誰もお互いの脳を丸ごと理解することは不可能です。

だから私たちは孤独なんです。

 

 

だからこそ僕は、誰かの考えを見ることが好きなんです。

 

 

何かを見たときに、僕にはこう見えていたものが、誰かからはこう見える、ということを知れると、不思議と嬉しくなる。

その世界が、少しだけ繋がる。

違う、を理解できる。

同じなら、もっと嬉しい。

 

 

映画を観た後、何かを読んだ後、そのタイトルで

「◯◯ 感想」

で検索したことがありますか。

それも共通認識を求めるゆえの行為だと私は思うんです。

たとえ違っても、そこには繋がりが生まれる。

考えの共有が行われるから。

だから私たちはファンクラブを作るし、同じものを見て実況して楽しんでいるんです。

その間は孤独を感じなくて済むから。

 

 

 

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歌も同じだとおもうんです。

より直接的に考えを、人生を除いたような気持ちになります。どこか恥ずかしくもなる。

「え、そこまで考えてるって知っちゃっていいの?」

と、びっくりしたりもする。

しかしいい言葉、歌詞は私の孤独を癒してくれるんです。

最近はBUMPがアツい。

 

 

本も音楽も、「自己表現」。形態が違うだけです。

「私はこう思っています」「私はこういう人間です」

これを高々に叫ぶ方法なんです。

 

なんども言うんですけど、私はこれらに触れることが大好きなんです。

そこには価値観、考え方、主張、認識、意識、思い、想い。

他者の脳が詰まっています。あらゆる感覚を言葉にしてしまうのです。

それを見る、聞く、読むという行為を私が毎日続けるのはひとえに孤独を癒すためでした。

 

 

「誰も僕にはなれない」

使い古された言葉です。しかし思うんですけど、使い古された言葉は大抵の場合正しい。

誰も僕にはなれない。

誰かに僕になって欲しい。

 

 

隣にいる誰かも、一緒に過ごす恋人も、他愛ない話でいつまでも喋れる友人でも、自分のことを一番に考えて育ててくれた両親でさえ、お互いの100%の理解は絶対できないのです。なんと残酷なんでしょうか。

 

 

私の見ている世界が誰にも絶対に見てもらえない。

私が感じた言葉にできない感情は絶対誰にも伝えられない。

私が今この瞬間、生きていると認識している世界を誰とも絶対に共有できないのです。

 

 

 

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だから、だから、だから、誰かの考えを見たいのです。

 

同じような景色を見ている人がいると、同じように感じている人がいると、自分は一人ではないと実感したいから、私は歌を聴き、本を読むんです。

それだけで人生の孤独が緩和される。

同じように考えている人がここにもいる。

少なくとも、その瞬間だけは独りではなくなる。

 

そんな安心感を求めて、言葉を求め、言葉を紡ぐのです。

 

 

まとめ

まぁ特にまとめることもない長いつぶやきですけど、僕はこういう風に誰かの考えを知ることが好きなので、みんなもブログ書いて世界の孤独を癒してください。 

 

 

 ここまで読んでくれてありがとうございます。ではまた。