そらになりかけ

音楽と生き方について話してます。

常識とは感情である

どうも、ガンモです。

常識ってなんだろうってふと思いました。

 常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている。社会的な価値観、知識、判断力のこと。[要出典]また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。対義語非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。

これはwikiからの引用です。一般的な認識もこの類ではないでしょうか。

 

さて、私はこの”常識”について考えようと思います。

思うに、常識とは認識ができないものです。

 

「これが常識」と認識できているものは別の何か。

それは言い換えればルール、倫理、道徳、良識の類ではないでしょうか。

 

”常識”とは文字通りに書くと”常にある識”です。

”識”とはgoogle大先生曰く

  1. ・物事を見分け、知り分ける。さとる。
     「識別・識閾(しきいき)・認識・相識・面識・鑑識」

  2. ・五蘊(ごうん)の一つ。物事を見分ける心のはたらき。
     「意識・眼識(げんしき)(がんしき)」
  3.  ・物事に対して考えをもつ。
     「識見・知識・常識・見識・学識」
  4.  ・おぼえる。記録する。
     「識字」
  5.  ・鐘や鼎(かなえ)などに陽刻した文字。
     「款識(かんし)(かんしき)・識語(しきご)(しご)・標識」
  6.  ・はたじるし。「幟(し)」と通用。
     「旗識(きし)」

とのこと。ここから私が考えるのは、常識とは3つ目の”識”の定義を引用して、

「常にある考え」

であるということ。それは自分が生きている世界そのものです。

 

私たちはわかること、使えること、知っていることを、もはや自分のものとして生きている。

その血肉となった意識こそを私は”常識”と呼びたいんです。

「ゴミをポイ捨てしてはいけない」

「靴は揃えて脱ぐ」

これを意識して行なっているうちは常識じゃない。

でも、それを習慣づけて常識にしていくことが私は大切だと思うんです。

 

 

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鎖に繋がれた象の話を知っていますか。

幼い頃から鎖に繋がれ、逃げられなかった象は、大きくなり鎖を引きちぎる力を身につけても逃げ出そうとしないという話です。

学習性無力感の例によく使われます。

井の中の蛙大海を知らずとはよく言ったもので、私たちは自分の知っていることしか知らないです。

何を知らないのかを知るのはとても難しく、不可能に近い。

 

他人との関わり、ランダムな出会いでしか未知のものには出会うことができない、と私は思っています。

 

世界を広げることは、新しい常識と出会うこと。

人との価値観の違いを知れば、世界が広がります。

誰かの言葉は私の世界を広げるんです。

 


だから私はみんなの考えが知りたい。

何をいいと思うのか、何に怒り、何を恨むのか。

感情は理論ではない。

その人、各人における感情がある意味私の考える”常識”なんです。

 

 

 

まとめ 

世界は人の数だけあります。

常識も人の数だけあります。

それらをできる限り知りたいと私は常々思っているんです。

 

 

あれ?前もこんなまとめにならなかった???

ま、いっか。

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。ではまたっ!