そらになりかけ

音楽と生き方について話してます。

辻村深月著「ツナグ」感想:会いたい人に会っても、幸せになれるとは限らない

辻村深月さん著の、「ツナグ」を読んだ。

最高だった。凍りのくじらで辻村さんを知ったが、もっと早く読んでおけば良かった。

 【注意:微ネタバレあり】

 

簡単なあらすじ

使者と書いて、「ツナグ」と呼ぶ。

死者との一晩の邂逅を可能にする使者。

しかし、死者も生者も、その「誰かに会う権利」を使えるのは一度きり。

 

愛した人、憧れの人、家族、友人。

誰に会いにいくのか。

何を伝えたいのか。感謝か。謝罪か。愛の言葉か。

 

それぞれの思いを胸に、人は死んでしまった「会いたい人」に会いにいく。

それは、何をもたらすのか。

 

「死んだ人と会える」 

それは、とても素晴らしいことに思える。

それでも、出来上がる物語はハッピーエンドとは限らない。

 

感想

これは私の心を変えた物語

こんな言葉を聞いたことがある。

「読んだ人の心を変えられない文章に価値はない」

その上で言ったら、これは必読の価値がある本だ。

 

後書きに書いてあった

「これを読んだ人は考えるだろう

『死んだ人で会いたい人がいるのか』

『自分が死んだら会いに来てくれる人はいるのか』と」

 

本当に、その通りだ。これを読んでそれを考えない人間なんていないだろう。

 

自分が会いたい死んだ人は誰か

自分が死んで、会いにきてくれる人は誰か。

 

考えるだろう。そして、そんな人がいるのかいないのか。それがどんな人か。

自分を支えてくれていた人。愛した人。愛された人。

誰に会いたいのか。

誰に会いに来て欲しいのか。

 

それを考えることで、私たちは生きている周りの人に、少し優しくなれる気がする。

 

 

謝らせてもくれない残酷さ

 一番心に残ったのは、親友を、間接的にだが、確信的に殺してしまったかもしれない女子高生の話だ。

本当に心が痛かった。読後感がかなり最悪(褒め言葉)

 

 

誰しも、謝りたい人が一人や二人いるだろう。

 

それを相手が気にしているかはわからないが、悪いことをしたと思ったのにそのまま死んでしまった人がいたら、あなたはその人に会いたいと思うだろうか。

自分を、許して欲しくて会いたいだろうか。

それとも、責められたくなくて会いたくないだろうか。

 

そんなことを考えた。

私は、会いたくない。

 

 

「言いたいことは、言いたい時に言う」 

こんな簡単なことを私たちは実行できずに後悔することが多い。

死と言う取り返しのつかない事態になってからようやく、

「言っておけば良かった」

と涙するのかもしれない。 

 

しかし、一度だけのチャンスがあった時、人はどうするのか。

 

謝りたい人がいる。許されたい人がいる。

今回の話の場合だと、「私のせいで死んだのか確かめたい」と言うのもあるのだが。

 

これを読んで、一番残酷なのは、相手が「許して欲しい」と切望しているのを見抜いた上で”謝罪すらさせないこと”だと思った。

 

謝るのは、相手のためであると同時に自分のためであることも多い。

 

過去の失敗や後悔を帳消しにして自分が前に進むための行為。

 

それを、たった一回きりのチャンスを棒に振らせること。

そして一生消えない、消すことのできないような傷を相手に残すこと。

これほど残酷なことがあるのか、と読んでいて空恐ろしくなった。

 

辻村さんの脳内がすごすぎる。こんな残酷な話が考えつくなんて。

 

ある意味でこれは死者の復讐のエピソードだったのかもしれない。

後日談というか、後半にある裏側のストーリーの”使者と死者の話”でも、余計に心が痛くなる。本当に、この本はすごい。

 

 

まとめ

これは連作の短編集だ。

いろんな思いで、それぞれが会いたい人に会いにいく話。

 

しかし、死者に会いたいというのは現世側からしかコンタクトができない。

それを、エゴと呼ぶのか。

死者は、今生きてるもののためにいるのか。

 

私は、正直まだ「死んでしまった会いたい人」がいない。

「私が死んでしまったら会いにいてくれるような人」も思いつかない。

なんて空虚な人生なのか、と思ってしまう。

 

この小説は、一つはあなたの心を変える話が入っている。

”大切な人に会いたい”という純粋な願いを再認識するきっかけになるだろう。

 

必読だ。